「首･改訂増補版」（横溝正史） | 書評：オススメ本！ラバン船長のブックセイリング･こんな本を読んでみませんか

金田一耕助の事件簿031b

｢改稿途中作品｣、よりおどろおどろしく

「首･改訂増補版」（横溝正史）
（「消すな蠟燭」）出版芸術社

髪の下から
かっと見開いた眼が物凄い。
口は半分ひらいていて、
黒ずんだ舌が
ダラリとのぞいている。
生首はあきらかに
素人の手によって
切断されたとみえて、
ぶきみなひらひらとした
肉片のようなものが
切断面からはみ出している…。

改稿癖のある横溝正史には、
一般に知られている作品の原型が
いくつか見つかっていて、
これまでそれらも紹介してきました。
今回は原形作品ではなく、
｢改稿途中作品｣です。
旧蔵資料の中から
発見された原稿であり、解説によると
｢旧著の切り抜きに加筆する形で
作成されていた｣とのこと。
読んでみると、筋書き自体は
まったく変更はないのですが、
かなり詳細な描写が加えられています。

【事件簿File-031b｢首･改訂増補版｣】
〔事件発生〕
昭和29年10月(岡山県)
〔依頼人〕
該当者なし
※磯川警部とともに訪れた温泉地で
　事件発生、警察に捜査協力。
〔捜査関係者〕
筒井警部補…所轄署捜査主任。
井口巡査…所轄署巡査。
磯川警部…岡山県警警部。
〔事件関係者〕
里村恭三
…映画監督。腕は確かだが、色好み。
　お籠り堂探検で一夜を過ごした後、
　何者かに殺害され、
　首が獄門岩で発見される。
香川千代
…里村監督に見いだされた新人女優。
　可憐な風貌。
土井新
…助監督の青年。千代を好いている。
内山進治郎
…男優。
　里村とともにお籠り堂に出かける。
服部千吉
…カメラマン。
　里村とともにお籠り堂に出かける。
都築
…マネージャー。ひと月前、
　里村、土井とともに訪れていた。
幾
…岡山･兵庫の県境の山里にある温泉
　｢熊の湯｣のおかみ。
達夫
…熊の湯の先代。道子の婿養子。
　一年前、殺害され、首が晒されるが、
　犯人は不明。
道子
…幾代の姪で達夫の妻。
　達夫の謎の死の後、自殺。
啓一…道子と達夫の一人息子。
菊…熊の湯の女中。
片山…達夫の猟仲間。医者。
伊豆…達夫の猟仲間。村役場の書記。
田口玄蔵…松茸泥棒。
沢崎…千代を診察した老医師。
勘十…達夫の死体の胴体部分の発見者。里村の死体の発見者。
卯之吉…達夫の死体の生首の発見者。
〔事件の概要〕
①熊の湯の達夫が殺害され、
　獄門岩にその首が晒される。
　(一年前の事件)
②映画監督･里村が殺害され、
　獄門岩にその首が晒される。

消すな蠟燭 (横溝正史探偵小説コレクション)

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今日のオススメ！

まず一つめは、死体の状況を説明する
描写が大幅に追加されています。
第一の殺人については、
磯川警部が自ら撮影した現場写真
(生首の)を金田一に説明するシーンを
新たに加え、その凄惨さが
読み手に伝わるように工夫されています
(冒頭に掲げた一節)。
また、第二の殺人についても、
おどろおどろしい描写が
追加されています。
そして村人たちが大騒ぎするようすも
加えられ、
二年連続で起きた殺人事件に、
村が恐怖に突き落とされたようすが
描かれているのです。

二つめとして、登場人物の紹介が
細やかになっています。
特にロケ隊のメンバー一人一人の
人となりを明らかにし、
被害者以外の全員に、
殺人の動機らしきものを匂わせ、
犯人捜しを難しくしています。
また、死体発見者および通報者として、
村人を新しく創作(勘十･卯之吉)し、
ロケ隊メンバーの怪しさが
引き立つようにするとともに、
村人たちへの喧伝役として
機能させています。
金田一と磯川警部のやりとりも
大幅に書き加えられています。
「いったいこの古狸め、
　なにを企んで居るのだろうと
　思いながら…」と、
水面下での応酬も見られるのです。

三つめとして、さまざまな部分に
具体的な記述が追加されています。
舞台となった集落には｢田尻村｣という
地名が与えられています。
また、先ほど記したように
地元の死体発見者に
勘十･卯之吉という
名前も与えられています。
些細なことですが、
熊の湯で磯川･金田一に供された
食事についても
｢なめこの味噌汁｣｢岩魚のつけやき｣
｢卵焼き｣｢山菜のひたし｣
｢沢庵｣｢紅ショウガ｣(以上朝食)と、
ひなびた温泉宿の風情が伝わるような
記述を加えているのです。

以前、本作品｢首｣を取り上げた際、
その味わいどころとして、
｢悪霊の祟りに見せかけた殺人事件｣
｢首を切断せざるをえない殺人事件｣
｢関係のない二件が繋がる殺人事件｣の
三点を挙げましたが、
こうした加筆によって
それらすべてが
一層際立つ結果となっているのです。

本作品には｢悪霊｣と名付けられた
原形作品(金田一は登場しない)も
存在します。つまり、
｢悪霊｣→｢首｣→｢首･改訂増補版｣と、
三段階の改稿が為されているのです。
この流れを見る限り、
横溝は作品全体の骨組みを
まず創り上げ、その後、
細部を徐々に肉付けして
いることがうかがえます。
この創作方法では、雑誌連載という形は
苦しいものだったのでしょう。
そのため雑誌連載時は
骨組みをとりあえず発表し、
単行本収録の際に肉付けして
完成させるといった方法を
採っていたのではないかと思われます
(事実、そうした作品が多い)。

INDEX 金田一耕助の事件簿(事件年代順)

金田一耕助金田一耕助。横溝正史の推理小説に登場する架空の私立探偵。江戸川乱歩の明智小五郎、高木彬光の神津恭介と並んで日本三大名探偵と称される。ボサボサの蓬髪でフケ症、興奮するとその頭をかきむしる悪い癖がある。顔立ちは至って平凡、体躯は貧相、格闘には全く向いていない。服装は皺だらけの絣の単衣の着物と羽織によれよれの袴。形の崩れたお釜帽を着用。多くの事件を手がけたが、そのうち77の事件が作品化されている。【金田一耕助の事件簿77作品】※原形作品はb,cの記号で表記001 本陣殺人事件002 百日紅の下にて003...

残念ながら、この改稿作業は
中断したまま完成を見なかったものと
思われます。
冒頭部分では先ほどの
｢田尻村｣という名前が
登場しないばかりか、
｢岡山県のうちでも兵庫県に近い
県境の｣とある一方で、同時に
｢それはもう島根県との
県境にちかい｣という
矛盾した表記が見つかります。
中盤に一か所だけ加えられた
｢田尻村｣の表記を
冒頭部分に書き加える
予定だったのではないかと思われます。
また、巻末解説によると、
｢トリックを訂補しようとした
形跡が見られるが、
解決篇にまではいたっていない｣と
ありますので、何らかの形で
トリックを完璧なものにしようと
していたのでしょう。

こうした原稿でさえも
出版されるようになったのは
喜ばしいことです。
横溝正史の愛読者が
いかに多いかということの
証左でもあります。
横溝にはまだまだ｢仮面舞踏会｣の草稿
(登場人物像などに連載とも単行本とも
異なる記述があるという)や、
｢病院坂の首縊りの家｣の
原形中断原稿もあり、
今後の出版が期待されます。
まだまだ横溝正史は
｢新しさ｣でいっぱいです。

（2024.3.15）

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